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もっと知りたい!「オダサガ」~街の歴史編~

「地元密着!」を合言葉にお得なマンション・住宅情報をお届けしている「センチュリー21中央ハウジング中央林間店」のタウン情報をご覧の皆さん、こんにちは。 今回は「オダサガ」の愛称で地元住民から愛される「小田急相模原駅」周辺エリアの奥深い歴史をご紹介! 親しみを込めてタイトルも「オダサガ」とさせていただきました。 さてさて、さっそく驚きのエピソードをご紹介していますので、こうご期待!

 元祖「相模原駅」はウチだ! ~「オダサガ」命名ストーリー~

この「オダサガ」、ごぞんじの通り正式には「小田急相模原」ですが、この名前に落ち着いたのは1941年(昭和16年)のこと、横浜線「相模原駅」の開業に伴い、改称したことによります。
開業以来、わずか3年あまりしか使用していなかった本来の駅名は、な、なんと「相模原駅」でした。(開業は1938年(昭和13年)のこと)
まぎれもなく元祖「相模原駅」はこの「オダサガ」なのですが、驚くなかれ実はこの駅名、「後に「相模原」という名称がトレンドとなる雰囲気を察知してつけられた」ことは知らない方も多いはず。
「相模原市」は日本の市政としてはわりかし新しい部類に入る1954年(昭和29年)生まれであり、どちらの「相模原駅」も開業はこれより早いのですが、その前身とされる「高座郡相模原町」の設立が1941年なので、ある意味「オダサガ」は当時のトレンドまっしぐら!なネーミングをしたんですね。
そもそも、この「相模原」のルーツ中のルーツは7世紀頃にさかのぼる「相模国」ですので、連想しやすい部分はあったにせよ、駅名としてだけでなく地名としても「元祖」に限りなく近い、といえるのではないでしょうか?
ただし、1930年代後半は当時の陸軍施設が、相模原への移転を画策しており、「相模原軍都計画」としてすでに動いている計画であったために、この様子を察知して実行に移したスピード感の差、ともいえるかも知れませんが。
(相模原町の合併・改称もこの軍都計画に則ったものです)
何はともあれ、かつては大きなトレンドの中心的な存在、だったわけですね。

 そして「路線名」をしょって立つ「オダサガ」 ~オダサガ風雲立志編~

謀った覚えは全くないものの、自ら「路線名」をしょって立つこととなったわれらが「オダサガ」。
後の相模原市の中心に近い2代目よりも、遠い所に存在しているため、町政~市政開始以降の急激な発展をどこか傍観するような立場に…「おおっと、いけねえ!」と立ち直った(あくまで想像です)「小田急相模原駅」をいい意味で援護したのが、何を隠そう「相模原市」。
現中央区のかつて「清兵衛新田」と呼ばれた地域の一部に、虎の子であった「相模原」の町名こそ使われていましたが(こちらは1964年(昭和39年)に実施)、それから遅れること5年、現在の「小田急相模原駅」周辺のエリアに1969年(昭和44年)「南台」という町名を与えます。
これにより広大なエリアであった旧「上鶴間」から切り離された「小田急相模原」は、牛後から鶏口へ転換し、さらには従来からじわりじわりと伸びていた「ベッドタウンとして・住宅地としての需要」に応えるかのように、続く1970年代に入り発展のピークを迎えることに。
ほぼ同時期に、軍都計画のきっかけでもある「昭和天皇行幸」の際に使用された「行幸道路」周辺区域に多くの商店が軒を連ねるようになり、商店街が形成されていくようになったことも追い風だったかもしれません。
そんなこんなで、前述の1941年以降、小田急全線で唯一の「小田急を冠した」状態は1974年(昭和49年)の「小田急永山駅」開業まで実に30年以上にわたって続きました。
例えるならこの時期は「オダサガの高度経済成長期」といった所でしょうか?
立派に社名を背負った底力を感じられる成長を遂げました。
この頑張りが現在の「オダサガ」への深い愛着につながっている気がするのは、たぶん、私だけではないはずでしょう。
(おそらく、「小田急永山」の場合、単に「永山」と略すだけで「オダナガ」とはならないでしょうし)

 そしてその「あだ名」は「公式ニックネーム」となっていく~オダサガ立身出世編~

この日本同様に、戦後、高度経済成長期を経て今日も成長を続ける「オダサガ」。
地元住民や近隣の人たちがその名前を呼ぶ際は、愛着を感じる呼び方を無意識でしていることが多く、ご覧の皆さんもそれを聞いたご経験があるのでは?と思います。
一般にも浸透した「あだ名」である「オダサガ」、その呼び名は、後に「公式」に上り詰める瞬間がやってきます。
前述の70年代から続く積極的な開発・再開発は、2007年(平成19年)にひとつの完成を見ることに。そう、それは再開発ビル「ラクアル・オダサガ」の完成~営業開始です。
近代的な駅ビルの理想形をそのまま持ってきたかのような新しくきれいなビルの名前に、なんと「オダサガ」の名前が入っているではないですか!
実に65年以上かけて「公式ニックネーム」となったわけですね。
もちろん、これだけでなく、続く2013年(平成25年)には、対となるように再開発ビル「ペアナードオダサガ」もデビュー、このビルの上層階には居住施設もあり、文字通り「オダサガに住む」が実現することとなるのです。
が、ひとつだけ大きな疑問が…。
立派に成長しているこの「小田急相模原駅」、一日の乗降人数も全小田急駅の20位と決して低くはないのですが、1989年(平成元年)から1993年(平成5年)にかけてのみ6万人を超えて以降、緩やかな横ばいを20年以上も続けている、というありさま。
もちろん、少子高齢化、いわゆる「超高齢化社会」の影響もあるでしょうが、どうなる?今後の「オダサガ」は、といった所でしょうか?

 「相模原に住む」良さを凝縮した、住みやすい街「オダサガ」へ

さて、「小田急相模原」に関する様々な歴史やトリビアをご紹介してきましたが、最後は愛すべき「オダサガ」に興味のわいた皆さん向けに、住みやすい街「オダサガ」と題して、このエリアに住む利点をいくつか披露しましょう。
まず最初に「駅周辺で何でもそろう!充実した買い物環境」です。
前述の再開発ビルをはじめ、昔ながらの商店街や各種チェーン店、さらにはいろいろなアジアの食材が手に入るマニアックなお店まで、この「オダサガ」には存在します!
これらが駅周辺だけで手に入るだなんて、徒歩派の方や主夫・主婦の方にも大満足な買い物環境ですよね?
一昔前とは異なり、わざわざ相模大野や海老名に足を伸ばさなくても良くなったことも「オダサガ」には大きな追い風ですね。
次に「再開発ラッシュによって新築物件が増えている」という点。
駅のはるか上空からの様子をお手元のスマホなどで見てみるとわかるのですが、もともとこの辺りは広大な住宅地エリアであり、以前から住宅やマンションなどの物件が多かったのですが、そんな既存の物件たちが駅周辺の発展に合わせて新築・増改築などを繰り広げており、住まい探しにおいては、現在まさによりどりみどりな状況なんですよ。
三つめは「長年ベッドタウンとして発展を続けてきた経験がある」という点。
JRや京王線などとも接続接点を持ち、副都心新宿までをカバーする小田急小田原線が走るこのエリアは、周辺の地域と共に長年、首都圏のベッドタウンとして発展してきた歴史と経験があります。
その分、今後の「伸びしろ」を考えた発展が想定できますよね?
時代はこれからも人々の想いを受けて、形を変えていきますが、街もまたその影響を反映して形を変えていきます。
人々に愛され、親しみを込めて呼ばれる「オダサガ」は、きっと違う時代においても、愛される「住みやすい場所」であり続けることでしょう。
そんな愛すべき「小田急相模原」に住もう!住んでみたい!と思った方は、お気軽に当店までご相談ください。

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